Hello, my mars.

ジャニオタ備忘録(語るタイプ)

踊れ Dance with me 声を上げて

その日、学校に対して真面目ではない高校2年生だったわたしは、午後の授業を抜け出し友人の家に来ていた。友人とふたり、大好きなジャニーズのDVDを見て楽しんでいた時に、食器棚のガラスがガチャガチャと激しく音を立てた。

 

今日は「その日」から3年。

今までに感じたことのない、尋常じゃない揺れに、のんびりしていたわたしも危機を感じ、いつもの習慣か大きい本棚の扉を抑えていた友人を急いで机の下に呼び込んだのを覚えている。その後本棚は中身の全てをぶちまけたから、あの時の判断は適切だったと、自画自賛でもなんでもなく思う。その後はお互いに家族や友人の安否を心配しつつ、テレビの情報にかじりついていた。

通信手段は回線の混雑で軒並み断たれていたが、そんな中で稼働していたTwitter。当時のフォロワーさんとリプライで連絡を取りながら、つぶやいている人がいることにとてつもない安心を覚えた。この人は大丈夫だったんだな、よかったな、なんて。

とはいえわたしが住んでいるのは東京で、大した被害はなかった。比べてしまえば、「いつもよりだいぶ強い揺れ」くらいなのだろう。テレビで知る東北地方の数値の大きさ、でかすぎて、実感なんて持てなかった。けれどこの揺れよりももっとはるかなものが襲ったのかと思うとぞっとしたし、東北に住んでいる友人もいたから気が気じゃなかった。

その後、東京でも鳴りやまない緊急地震速報のサイレン、商品がそろわずままならない買い物。日に日にテレビで知る被災地の被害の甚大さ。「ここは大した被害もない、被災地では決してない」「自分を含め、家族や近い親せきは誰しも無事だった」「被災地のひとはもっと苦しんでいるんだから」「何かにかこつけて疲れたなんて、それは甘えだ」そう思っても、体は正直だし、心は疲弊する。

 

そんな中で、わたしの心の拠り所となったのはエンターテイメントだ。

 

4月始め、横浜アリーナで行われたタッキー&翼スペシャルライブ。『節電コン』なんてどこかで言われたそれは、電力はいつもの5分の1、電源車を用いての発電で行われたものだった。照明演出は特に大きい会場でのコンサートには欠かせない要素だが、それも含めコンサートは滞りなく進んでいた。しかし、いつも通りというわけにはいかない。5分の1と言うくらいなのだから、当然のようにいつもよりかは暗い。見る分には全く問題ないが、やはり、いつもの演出と比べると照明の輝度などは一目瞭然だ。

そんな中で、タッキー&翼は「いつも通り」の会場を作ってくれた。前途のとおり、演出などには制限がある。しかし、彼らのパフォーマンス、盛り上がる曲の数々、お決まりのC&R。相方の誕生日をユーモアたっぷりにお祝いする翼さん、ツッコミを入れながらもニコニコ受け取る滝沢さん。どれをとってもいつも通りというか、今はこういう事態だからこう!っていう縛りのようなものを感じさせず、いつも通りの「楽しむべき場所」に誘ってくれたような。パーティ会場でありホームのような。そんな感覚。

エンターテイメントの力強さを感じた。強引に押しやるそれではない。どんなに胸を痛める、つらく悲しい状況にあっても、エンターテイメントはいつもそこにいてわたしたちに元気と希望をくれる。歌い、踊り、演じ、笑うことが、こんなにも心の励みになるのだ。しかしそれは決して自然に作られるものではなく、人の手によって生み出されるものだ。タッキー&翼のお二人も、コンサートを支えたスタッフさんたちも、決してのんきな状況下で行っているわけではないのだろうと思う。それぞれに抱えるものがありながら、それでもエンターテイメントのもとに輝きを見せ、わたしたち観客とともにあってくれる。

そこで生まれた希望は、そのとき「観客」になれなかった多くの人にもきっと伝わる。人から人へ。エンターテイナーから、わたしから、誰かへと。

それは現実から目を背けることだ、と言われても何も反論できないかもしれない。でもそんなに強い人間じゃないから、現実に立ち向かうためにエンターテイメントから活力をもらう。その世界に依存するのではない、あふれるパワーを、わたしの中で新たな力に変える。

 

あれから3年。わたしはまだまだエンターテイメントが好きで、生み出されるそれにさまざまな刺激と希望をもらっている。震災時であろうと、なかろうと、心を救うものは変わらない。

震災というものは、まだ恐怖を知らない土地に生きるわたしには漠然としすぎていて、これはわたしが未熟だからいけないのだけれど…。とにかく、すべてが偽善や虚言になってしまう気がして、何が言える立場でもない。そんなわたしが唯一できることが「忘れない」という作業だと思い、その時感じたことをこの場に書き留める。悲劇を嘆いたり、現状に提言したり、何の助けになることも言えないけれど、わたしなりに見出した希望の形をそのまま文字にするだけ。

 

震災の被害に遭われた方も、そうでない方も。すべての人のこの先の未来が、希望にあふれたくさんの幸せに恵まれますように。