雑記の表紙はグリーン

ジャニオタ備忘録(語るタイプ)

エンドレス・サマー

PLAYZONE 1986‥‥2014 ★ありがとう!~青山劇場★』を観劇しました。

前記事でも感じたけど、あらためてタイトルを打ち出すと、やっぱりダサいですね。ご愛嬌です。

 

PLAYZONEはやっぱり、いい。いいです。わたしはPLAYZONEが大好きです。今井翼さんひきいるカンパニーが作り上げたステージが好き。そしてそれは決して今井さんたちだけの功績ではなく、少年隊さんに始まった29年という年月が成したものである、ということ。ジャニーズはたびたび『歴史』と『伝統』を重んじ、それを口にします。ただタレントが所属している会社、というだけでなく、そこにひとつの文化がある。素晴らしいことで、そのかたちのひとつがPLAYZONEなのかな、と。

わたしとPLAYZONEの出会いは2009年。当時まだJr.だったKis-My-Ft2が座長を務めることになり、DVDで公演を見たのが最初です。そこには全力で汗をかき、ステージにぶつかりながら成長していく若者たちの姿がありました。舞台がそういうストーリーだった、というだけではなく、ほんとうにキャストがこの舞台で輝こうと必死になっていることを感じ、青春とはこういうものか!と感激しました。翌年、初めて青山劇場に足を運び、生で観劇。トラヴィス振付・翼座長のカンパニーの初演。ここまでダンスに力を入れ、美しいフォーメーションと「魅せる」表現に触れたのははじめてでした。海外の振付師によるプロデュースもわたしにとっては目新しさがあって。それから今年に至るまで、いわゆる登山がわたしの夏の風物詩となり、回数も年を重ねるごとに増えていきました。

わたしがPLAYZONEを知ったころにはすでに少年隊さんが演じることはなくなっていて。レビューショーと演目形態を変えたSONG&DANCIN'は、少年隊のPLAYZONEに慣れ親しんだ人からするとそのカタチを問いたくなる、という意見も見かけたりした。そのひとたちの気持ちを、100%理解はできないにせよ*1、看板のでかい舞台を引き継ぐって大変なことなんだな、と思ったり。それでもわたしは今のPLAYZONEが好きです。翼さんが座長になったんだもの、持ち味のダンスを生かした舞台になってもいいじゃない。

きっとPLAYZONEという舞台で受け継がれてゆく『歴史』と『伝統』は、演目形態だけではないんだろうなということ。少なくとも、わたしがはじめて見たときからPLAYZONEという舞台は、変わらない光を灯し続けている。舞台に対して真剣に取り組む姿勢、そこに立つということの誇り。DVDで見た少年隊PLAYZONEにも同様のものを感じたのです。

 

今年のPLAYZONE

ダイヤモンドアイズで幕を開け、キャスト全員で踊る様子を見て、ああジャニーズって最高だな。と思いました。名曲を歌い継ぎ、踊り継ぎ。過ぎ行く時間をよみがえらせ、新鮮な感動を噛みしめることができるんです。そうPLAYZONEならね。そうジャニーズならね。

それは、君だけに、でも同様に。もともと成立しきったナンバーだから完成度が高いのは当然かもしれないけれど、全ナンバーの中でトップを競うほど大好きなナンバーです。Jr.担だけどそんなの関係ないんだよー!PLAYZONEを牽引してきた少年隊のように、今の座長陣である翼さん・屋良くん・優馬くんが舞っている。シャンパンゴールドの光が散りばめられたステージはまるで宝石箱のようでした。照明に至るまで同じ演出だったかどうかはさておき、29年の歴史がここにあるんだなぁと感じられた。いつPLAYZONEを知り好きになっても、重要なのはタイミングじゃなくて。わたしたちは皆その歴史の中に生きていて、築き上げられた芸術に触れるんです。

3年ほど大きな変動なくPLAYZONEに出演しているカンパニーは団結力が高く、お互いを最高の仲間としてたたえ合っている姿が印象的でした。舞台上でばちっと目を合わせたり、微笑みあったり、手と手を触れ合わせて情熱を高め合っていくカンパニー。うらやましいほどに青春。公演を重ねるごとに、ステージから揃った掛け声や咆哮が聞こえることが増えました。とくにGuys PLAYZONEでの漲るダンスにはむき出しの本能がうかがえて。心からこのステージを楽しみ、最高のものにしようという気概をビシバシと感じる。わたしは観客として、その姿が嬉しくて楽しくて時には涙してしまうほどでした。こんなに打ち込めるものがあって、苦しいくらいの熱量を解き放つことなんて日常生活そうないし、貴重な体験をしているキャストが羨ましくなったり。ひたむきにエンターテイメントしている人を応援できることってやっぱり楽しいな、と自らのおたく生活に満足したり。

亮太くんが怪我をして出られなかったり、また出てこられたりしたことは、わたしがThey武道第一だからとてつもなく大事件だったわけだけど。ふぉ~ゆ~が綴る文章を読んだりその後観劇したりして、我らがGuys PLAYZONEでも歌っている「ひとりじゃない」をずしんと感じる今回のPLAYZONEだったように思う。福田くんが連載にて、なにか違う、と言っていて。ひとりがいないことによって、自分が出られないわけではなくても違和感を覚えるカンパニーってすごいな!っていうのと、見てる側ももしかしたら近いものを感じられるのかもね、と思ったり。わたしがもしThey武道が好きじゃなかったらどこかで亮太くんがいなくなってても、They武道が好きだからどこかで他のグループの誰かが出ていなくても、もしかしたら気づかないかもしれない。けれど亮太くんがいないことで、例えば海人くんが左手を伸ばして足を支えることもないし、美勇人がグータッチをすることもないし、宮近くんがふわっと微笑むこともないし。他の誰かと別のタイミングですることがあっても、『その瞬間』は訪れないんですよね。

ひとりがみんなに作用する。それだけにひとりに降りかかる責任は大きく、しかし支えるのは必ずしも二本の腕だけでなくていいのです。だってひとりじゃないから!翼さんが千穐楽で、今後他の舞台で頑張っているメンバーを見かけたらファミリーとして応援してほしい。と仰っていたのも印象的でした。

 

千穐楽の公演終了後に外挨拶があり、2014年夏のPLAYZONEは無事に全公演を終えました。今年初めて外挨拶に、記念登山だ!などと言いながら行って、集まった人数の多さに圧倒されました。わたしみたいに記念の人もいっぱいいたのかな?これだけ多くの人がPLAYZONEとカンパニーのために集まり長い時間登場を待っていて、とても愛されている舞台なんだなとあらためて感じました。

終わった。終わってしまった。PLAYZONEはきっとまだ続くのだろうし、1月にまた青山劇場での公演を控えているけれど。『夏の青山劇場でのPLAYZONE』はこれが最後だったのだ。もう来年は、汗をかきながら宮益坂を登っても、表参道の生ぬるい風に当たっても、そこに青山劇場はない。わたしたちの夏の頂は消えてしまうのかと思うと、寂しさが止まりません。たった5年しか通っていないわたしだけど、数字以上の思い入れがいつの間にかむくむくと膨れ上がっていたようです。観劇にいらっしゃった東山さんがステージに上がられて、青山劇場に感謝を捧げながらステージの床を触った姿が忘れられない。嘆いても仕方のないことなのかもしれないけれど、綺麗な思い出に、と言えるまでもう少しかかりそうです。*2

でもいつか、綺麗な思い出になって、そしてまた夏が来て――風が吹いて、あの夏の高揚感を思い出すんだろうなぁ。永遠の夏。ありがとう、青山劇場。

 

ありがとう、PLAYZONE。毎年進化を遂げながら変わらない良さを抱き続ける舞台は、いつだってわたしに感動と興奮を与えてくれます。1月の公演がどんなものになるのか、そしてこれからのPLAYZONEの未来に期待します。

*1:なぜならわたしはその時代を体感していない

*2:東山さんは青山劇場を買いたい!給料上げて!と冗談で会場を笑わせていたけど、割と本気でお願いしますですと思った人は少なくないだろう!w