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ハッピージャニオタ舞台班(メルヘンタイプ)の備忘録

はやし担になるための日記

hayashi

わたしはほんとうにすごい人を好きになってしまったのだと思い知らされた。

 

 


2015.01.12

誰にも見られていないのに日記をつける。嘘です。そういいながら公開する気満々。日記というのは建前で、ゆるやかなカウントダウンをしようと思う。1月21日に彼のことを「担当」として見ようと決めた、そのためのカウントダウン。大好きな青山劇場の最後の公演、わたしと青山劇場にとって最後の日に、そのステージに立ち事務所に入所してから15年目をめでたく迎える彼のことを。いままでだってずっと見てきた。彼を見るために青山劇場に足を運んだと言っても過言ではない。なぜ、最後の最後にそうしようと決めたのか、これはもうタイミングとしか言いようがない。青山劇場がわたしの青春なら彼だってわたしの青春だ。あくまでも理想化しているにすぎないのは承知の上で。しょうち、と打ったら翔ちゃんって変換候補が出てきた。最初は彼のことをそう呼んでいた。初めて名前を知った場所で見知らぬおたくがそう呼んでいたから簡単に影響されたのだと思う。もう5年以上も前になるらしい。かっこいい、と初めて思ったときのときめきは時の中で風化されて淡くなってしまったがそれでも消えることはない。5年。PLAYZONEの歴史に比べたらほんのちっぽけな時間だが、21歳のわたしからしたら人生の4分の1を占める大きな時間。高校生になり自分の稼いだお金でチケットを買うことを覚えた。思えば、初めて生で見たジャニーズの舞台*1PLAYZONEだった。舞台観劇にのめりこむ今のわたしの基盤になっているのは、もしかしたらあの季節かもしれない。その中に彼はいた。そして今もいる。

こうして書き出すときはワンクッションがあるから冷静になるけれど、最近「翔ちゃん」が口をついて出る。気がつけば、しょうちゃんかわいいな…って言ってる。しょうちゃん。りょうちゃんのせいで一番最初の呼び方を思い出してしまった。しょうちゃん、は、わたしの中のときめきを更新し、大きくしていく。2015年1月6日に見たしょうちゃんのことが好きだと強く思った。今までも好きだったのにそれよりもずっとずっと大きな愛で心が満たされている。自信満々に踊る姿、歌声、涼しげな目。彼のことは知っているようでなにも知らない。知っているふりをし続ける。でも、わたしはまた、確実に好きになる。青春が終わらない。


2015.01.16

おたくである自分のテーマがスピッツの『甘い手』という曲で、Twitterのbioにワンフレーズ残すくらいこの曲が好き。どこかトリップしたような幻想的な曲調に、重い愛の詩が融けていて、おたくをこじらせたわたしにはぴったりだった。読んだら多分引いてしまう人もいると思うけど勇気を出してリンクを貼っておく。

甘い手 - スピッツ - 歌詞・動画 : 歌ネット

特定のファンサだとかハイタッチだとかもっと言えば認知だとかをほっとんど望まない自分は舞台もコンサートも全体を見られるからとステージから遠い席に入ることが多くて*2*3遠くから見てるだけで満たされるハッピーな感覚を持っている。そして、ひとりのタレントに対して不特定多数でいられるこの関係性が居心地いい。「遠くから君を見ていた」「愛されることを知らない/まっすぐな犬になりたい」というフレーズが、まさしくそんなわたしを現しているようで、勝手に重ねていたりする。「甘い手」は彼のことだ。はやしくんの手はいつも情緒的で、夢のような甘さを持っている。ダンスで彼の手が描き出すふわふわとした感覚が好きで、わたしはそれを遠い客席から見るのが好き。「甘い手で僕に触れて」。その欲求はきっと叶わないのだろう、と曲を聞きながら思った。叶わなくていいと思った。むしろ叶わないほうが夢を見続けられるのだと。

しかしどういうわけか叶ってしまった。はやしくんの手に、触れてしまう日が、まさかまさかで訪れてしまった。1月6日の話です。初日だから通路登場の導線なんて知る由もなくて、ビビッて体の前で手のひらを晒すくらいでろくに伸ばすこともできなかったのに、ちゃんとファンサービスをしてくれるんだからはやしくんは素敵なアイドルである。史上最高の至近距離ではやしくんのかわいい顔を拝んでしまった時点ですでに死にそうだったけど、手が、だってあの手が、触れちゃいけないはずだったものが伸びてきて、爆発するかと思った。

わたしの興奮はさておいて。その、手のひらが、びっくりするほど柔らかかった。これがほんとうに男の人の手なのか?と思わず疑ってしまうほどに柔らかかった。マシュマロみたいな、熱にかざせばとろんと溶けてしまいそうな、指でつまんだらふにっとかいっちゃいそうな。ずっと遠くから見ていて、甘い、と思っていた手の感触が、実際に甘かった。びっくりしすぎて、夢見心地というよりは頭が無駄に冴えてしまって、*4これが現実だ…と呆然。夢は、もっと、ふわふわしていて、気持ちよく微睡めるものじゃなかったっけ?はやしくん、イコール、甘い。はやしくん、イズ、リアル。

手を叩く音がパン!とちゃんとした音量で伝わってくるような距離で、きらきらの笑顔をふりまきながら踊るはやしくんを見つめて、甘い柔らかさがいまだ残る自分の手のひらを力なく広げていたら、数分前に聞いたフレーズがリフレインした。

「あなたとだったら未来も たんなる空想じゃなく リアルな現実として受け止めることができるさ」

ぼくの心、あなたのことで、いっぱい!


2015.01.20

実際もう降りてるのかまだ降りてないのかよくわからない。初日見たときにはいろんなことで胸がいっぱいになって「担降りしよう、担降りしよう、」って頭の中で何回も言っていた。楽曲大賞の自担部門に名前を挙げた時点でもう降りてたのかもしれない、けど便宜上っていう言葉も嘘ではなかった。そもそも担当・担降りっていうもの自体おたくの数だけ解釈があって何が正解かわからないけれど。

じゃにおたになって担降りは何度か経験してるけれど、前回の担降りの感覚がほんっとーーーにきもちよくて、よすぎて、それを超える衝撃にはきっと出会えない。自分の足でなんの恐怖もなくマカオタワーからバンジージャンプしたような恐ろしいまでの気持ちよさがあった。それから前の担当を嫌いになったことはただの一度もなくて、好きの度合いが落ちたこともなくて、だからさくまくんを元担とか呼びたくない。「担当」=「世界一」だったらもう二度と担降りはできないんだと思った。どう考えたってさくまくんはわたしの世界の頂点に君臨するうつくしいひとだ。世界ってことばがちっぽけに思えるくらい、銀河系、あるいは宇宙か、とにかくそれくらい強大な存在であることは間違いない。

それでも、担降りしたいって、思ったんだよねぇ。担当ははやししょうたくん、ってなりたいなぁって思った。その感情ににごりはない。やっぱり、前のエントリにも書いたけど、「担当」=「一番応援したい人」っていうことはぶれない。正直もう、はやしくんとさくまくんで好きの度合いなんて比べられない。それぞれをそれぞれに好きで、円グラフにぴったり収まらない。はやし担ですって表明することは、はやしくんを一番に応援しますっていう決意表明になったりする。好きと応援は微妙に違って、応援するということは、与えられたものを享受するだけじゃなくって微力でもなんらかの後押しになることをするっていうことだと思うから。はやしくんのため、とまでいかなくても、はやしくんとぜいぶどうのことになによりもエネルギーを燃やしていきたい。もうすでに燃やしてるんだけど。

担当になると同担や同G担の言ってることが気になって、価値観の相違に首をかしげてしまったりするんだけど、*5それでも大丈夫っていう覚悟をやっと持てたのかな。わたしの中で信じるはやしくんとぜいぶどうがちゃんと存在するようになったのだとおもう。この目で彼らが踊る姿を見て、それを確信できたから。明日、はやししょうたくんのことを担当としてちゃんと見られる。PLAYZONEはここで一区切り、青山劇場とも最後の別れをしなくてはならないけど、わたしははやししょうたくんのファンをまた新たに始められる。そんな気がする。


2015.01.20②

そういえばだけど冒頭の一文はほんとにぽつりと出てきた言葉なんだけどこれが真理というか。Twitterで流れてくるレポやら感想やらがいまだかつてない絶賛祭りで、わたしもこの目でステージで踊る彼を見て、なんのごまかしもなく実力でそのポジションを掴みとっていることに、ほんとうにすごいな…と単純に感心した。瞳の中のセンター、とか、都合のいい耳*6、とか、そういうのが滑稽に思えちゃうくらい通用しない、まぎれもなくセンターでソロで歌って踊ってしている。それができる。場所に負けない。すごいひと。今日を一日頑張ればまたその姿が見られるんだなぁって、楽しみで仕方がありません。おやすみなさい。


2015.01.21

はやししょうたくん、入所14年の一日目。今日の日の輝きを観に行けることがほんとうに楽しみで仕方ありません。わたしの「担当」さん、どんなひとかな。

 

 

*1:SHE LOVES MEは東宝カウントで

*2:近くで見るのも別の趣があってすきです

*3:席運がないだけともいう

*4:感覚としては完全に冴えてた。はずだけど、今こうして書き出してみると十分ふわふわの浮かれポンチである

*5:無駄に超気にしいだしココセマだよ^^

*6:これはわたしが勝手に言ってるだけだけどw