雑記の表紙はグリーン

ジャニオタ備忘録(語るタイプ)

20150319

この度のEndless SHOCK上演中の事故におかれましては、キャスト様・スタッフ様の無事と、負傷された方の回復を心よりお祈り申し上げます。そして、一刻も早く安全が確認され、万全の状態での開幕が叶いますように。

 

※感情の整理用に記事を書きましたのでいつも以上に主観です。当日のことで不謹慎と取られてしまうかもしれませんが、閲覧は各自の責任でお願いいたします。

 

 

 

電車に揺られている。ほんとうはわたしが座っているのはこの椅子じゃないとどうしても考えながら大人しく座っている。

 

Twitterで速報が飛び込んできたのは、食事を終えて買い物をしていたときだった。16時頃。

「セットが倒れた」
「人が下敷きになった」
「中断した」

帝国劇場で上演中のEndless SHOCKの2幕真っ最中にトラブルがあり、公演がストップしたという知らせ。頭の中が真っ白になった。止まった、ということが何よりもショックだった。だって、あのSHOCKがだよ?災害以外では止まったことがないんだよ?show must go onでお馴染みの舞台だよ?そこからツイートを眺めてじわじわと、キャストさんスタッフさんは大丈夫だろうか、夜公演はどうなるのだろうか、と様々な心配が浮かび上がってきた。観客のツイートが必ずとも真実とは限らず、情報は錯綜していたが、「中止」だけは誰もが述べている紛れも無い事実だった。

夜公演のチケットを持っていたわたしは、祈りながら電車に乗り込むことしかできなかった。どうか、どうか。安全が確認できて、幕が上がりますように。無事に笑顔で歌い踊るキャストさんの姿を拝めますように。けれどそんな祈りも虚しく夜公演の中止が程なくして発表された。現実はそんなに甘くない。分かっていてもどうしてもの思いで帝国劇場に向かった。外は人で溢れ、多くの報道陣がカメラとマイクを構える異様な光景だった。こんな帝劇見たことない。そして何度目をこすろうと張り紙に書かれた「中止」の文字が望み通りの意味を持つことはない。なにか、物足りなくて、お腹が空いたわけじゃないのに近くのうどん屋でうどんを食べて、それはあっという間にお腹に収まって、もう一度帝劇前に行った。相変わらず対岸の歩道まで人が溢れている。18時になってもその扉が開くことはなかった。ほんとうならひし形の窓から光が漏れて堂々たるシルエットに拍手を送っている時間だった。

 

すごく、不謹慎で、わがままで、言うべきことじゃないとしても、やっぱり、開いてほしかった。SHOCKが見たかった。会場前の異様な光景にそんなの無理だってわかりすぎるくらいだったけど、でもわたしはすごく楽しみにしてた。お金は返ってくるかもしれない。でも時間は戻ってこない。それはキャストさんもスタッフさんもきっと同じで、開けたくて尽力してくれたのだと思う。誰も悪くないからなにも責められない。それがとにかく虚しい。演劇が見られない、という衝撃はこんなにも大きく悲しいものだったのか。それはしょうがないよね、なんて、口で言うことはできても心から割り切ることが今はできない。

自分勝手な虚しさは差し置いても、事故に巻き込まれた方々が心配でなりません。報道では命に関わるところまでは聞いてないけれど、怪我の軽さ重さに関わらず1日も早い回復とご無事を願います。観劇のたびにいつも、なにか事故が起こって自分の好きなタレントが巻き込まれてしまったら、と一度は考えるけれど、実際に起こり得るんだっていう現実がつらい。どうか、どうかご無事で。

show must go onがテーマのEndless SHOCKはほんとうにすごい舞台で、大抵のアクシデントは乗り越えてしまう力を持つ素晴らしいカンパニーだ。セリが降りなくてもマイクが切れてしまっても、それに対応して見事に舞台を成立させた。危険な大技も魅力的にパフォーマンスし、わたしたちを楽しませてくれる。だから、そんなSHOCKができない、showを始められないという状況も、まさにショックだった。帝劇前で待っているとき、とっくに中止が発表されてるのに、開く気がしちゃったんだよね。やっぱりやります、チケット拝見しますって声が上がるんじゃないか、なんていう期待をしてしまっていた。SHOCKの世界では自らの命を投げ打ってでもshowを続けたけど、実際はエンターテイメントで人が死ぬなんて絶対にあってはいけない。人命と安全を考慮すれば、今回の中止は英断だ。次に幕が上がったとき、キャストさんもスタッフさんも観客も、皆が笑顔でそこにいられるように願ってやまない。

 

エンターテイメントは、そのエネルギーで人を幸せにするものだと信じている。Endless SHOCKも例外なく、強大なエネルギーでもってshowをつくりつづけている。だから、次にSHOCKを見たときは、わたしも思い切り笑って泣いて楽しみたいと思う。明日の舞台へ。祈りを込めて。