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ハッピージャニオタ舞台班(メルヘンタイプ)の備忘録

20151009雑記

すしをたらふく食べながら、カラオケで熱唱しながら、これからの季節を憂いつつお洋服を選びながら、今言いたいことと感じていることを一生懸命考えていた。とりあえず、今日の日付は2015年10月9日である。

秋風がとんでもなくしみる。沁みて、凍みる。こういうの、は、いつだって突然で、いつだって不確かで、いつだって手探りだということがとてもつらい。おたくがアンテナを張っていなければ、なにも知らないままいつの間にかあの子のステージがなくなってしまっていたのだろう。そして、わたしたちは知ってしまったが、いまだに何もわからない。だって、誰にも言われてないんだもん。どこでも目にしていないんだもん。だれか、「退所」って二文字をどこかで見かけたり耳にしたりしたら、教えてほしい。おたく的な表記としては〈【譲】サーチ能力・労力・想像力【求】「退所」〉

だってわたしが知っていることなんて、動画がカットされたとか、写真が売り切れたとか、webコンテンツの消失だとか、そんなものなのだ。たったそれっぽっちなのに、もうみんなが事実を口に含んでいて、かみ砕いたり、飲み込んだり、いつまでもそれができずに苦い味だけを舌に広げていたりする。やがて訪れる決定的な確定事項をいまはわかったようなふりをして、「そのとき」ふりがふりじゃなくなる。わたしたちは現実を受け止めなければいけない!ならば、どうして言葉ひとつくださらないんだろうな、って、今は思う。辛辣かもしれないけれど、思う。

なにも分からないまま、はたと途絶えて、おしまい。それで、そっか、とか言えない。何も言われてないのに、何も聞いてないのに。察しろだなんて文化は滅してしまえよ。そんな程度の気持ちで応援してたんじゃないんだよ。何もないから、どうしてそれを決意したのだろうとか、もっと言えば、元気なのか生きているかさえわからない。不謹慎かもしれないけれど、ステージに立てなくなった理由があるんじゃないかとか、ifの話は尽きない。こんなんだったら、事務所の前に立て看板でも出しておいて。ドアに紙ぺら一枚でも、それが分かるんなら妥協する。何もわからないままじゃ、ものすごく細いラインでつながっていた世界は簡単に途切れてしまうし、それはもう、失ったも同然だからだ。すべてを疑って何かを信じたいのは、それだけ真剣に応援していたからだというのが、どうしてか届かない。最近ありがちな後日Twitterが開設されて、なんて望んでいないはずなのに、それでもいいから言葉がほしいなんて思っちゃうんだなぁ。わからないことに対して、おつかれ、ありがとう、がんばれ、って割り切って言えない。言いたい。言いたくない。から言わない。

初めてじゃない。特別なんかじゃない。だからって慣れるわけがない。だって、だって、好きだったから。好きな人の好きな人だったから。事務所としての責任とかいろいろ問いたいところはあるけれど、今はそれを冷静に口にできそうにないなぁ。心に開いた穴に風が通り抜けて、ひゅうって言う。風がひゅうというのは当たり前だけど、その音をどこか遠くで聞いているようだ。なんかまだよくわかんないんだ。せつなくなりっぱなしなのになににせつなくなってるのか実体がないみたいにはっきりしないんだ。

おだやかな言葉がでてこない。該当担でなければ不謹慎なのかもしれない。けれどきょうは何かを紡ぎたくてたまらなかった。きょう見た空は青から赤へと鮮やかなグラデーションに真っ黒な電線のコントラストが映えていて綺麗だった。でも見たことあるような空だった。そんな、ごまんとありそうな日常の中で、青と赤は当たり前のように溶けていた。

 

 

 

 

そもそも関係あるかどうかもわからないから絡めちゃいけないのかもしれないけれどやっぱりじたんさんのこと考えたし、じたんさんが言ってる意味ってなんだろうってあらためて考えさせられた。勘繰るのはおたくの仕事だと思ってそっと目を閉じてくれ。わたしは一時期の彼らのことを「言葉をもたない」と揶揄していて、それは今後ここを脱してほしいという願いの元だった、最近少しずつ彼らの言葉に触れる機会が増えてきたのに、こんな大事なときにかすかな声も聞こえない状況に胸がキューっとなる。当たり前だと思ったら終わりか。いつ見てもずしんとくる。でも、でもねぇ、こっちの勝手な話なんだけど、当たり前であってほしかったな、って思ったよ。