Hello, my mars.

ジャニオタ備忘録(語るタイプ)

卒業

わたしの話をします。卒業、を、しました。人生で4度目の『卒業式』でした。この季節を迎えるたびに増える式はいつもかったるくて、早く終わってくんねぇかなってことばかり考えていたけど、それも最後なのだと思うとなんだか感慨深かった。3月で15年間の学生生活を終えました。

 

最後の3年間は専門学校に通っていました。そこにはデザイナーやイラストレーターや芸術家などを志す未来の表現者たちが集まっていました。もちろん実際の進路はその限りではありませんが、みんなどこかでそういったことに関わることを望んで入学し、ともに学んできました。思えばわたしは、幼いころから絵を描くのが好きで、中学の選択授業は迷わず美術を選んでいました。高校もデザインの勉強ができる総合高校を選んで、だから美術学校に進むというのはわたしにとってもはや必然的なことでした。ただ、経済状況を鑑みて大学はあきらめたというのはありますが。

漠然と「デザインがしたい」デザインの何たるかもわからずにいたのでそう思うしかなかったのですが、そんな期待を胸に入学し、いろんなことを教わる中で、「本当にこの仕事に就きたいのか?」という疑問が生じました。そのころには、高校でわずかに生まれた劣等感がむくむくと膨らんでいました。少人数で勉強していた高校時代と全員が同じ課題に取り組む専門学校ではわけがちがうのです。自分はものづくりが下手なんだ、そんな思いが鋭い剣のように感じて、みずから切っ先を突きつけているような。このままデザイナーを目指して、就活という荒波を乗り越えて、多忙極める業界に飛び込んでいきたいのか?そこでやっていけるのか?自分に問い質したとき、答えはNOでした。ここで答えを出してしまう時点で甘えているのかもしれません。授業のコース選択をしなければならない時期で、焦っていたのかもしれません。けれど今となって後悔はありません。

専攻にした写真と出逢ったのはそのころでした。じゃあ、何をしたらいいだろう?仕事のためでなかったら、あとの2年をどうやって学んでいこうか?どうせなら少しでも楽しみたい。そんなとき、カメラを手にしました。シャッターを押せば画像ができあがる。直感的な作業が楽しくて仕方ありませんでした。ジャニオタであるわたしは普段からオタ誌のグラビアを含めたポートレートをよく見ていて、こんな風にうつくしいものをうつくしく撮れたらいいな、という思いが胸に生まれたりもして、写真を専攻したのは極めて単純な考えの元です。描いたりダミー*1をつくったりしなくていい、0から生み出さなくてもいい、なんて逃げもあったかもしれません。

もちろん考えは甘かった。撮っただけで作品になんてなるはずがない。これはよくてこれはあまりよくなくて、とわたしが撮った写真を簡単に選別していく先生の目が信じられなくなったこともあります。それが理解できるようになってなんとなく良し悪しが分かってくると、今度は自分が何を撮ってもダメなように感じてしまったり。広告写真はとくに苦労しました。講評で他専攻の先生方にぼろくそ言われて泣きたくなったこともあります。3年間の制作の中で苦しくなかったことのほうが少ないくないくらい、わたしはネガティブで弱くて、しょっちゅう眠れなくなったりしました。考えすぎな部分もありますが。

でも幸いに、周りの環境にはとても恵まれました。専攻の先生はとても優しく、優しすぎるんじゃないかというくらい優しかったので、甘えてダメになるというよりむしろこの優しさに報いようと頑張れました。甘やかす優しさではなく正してくれる優しさでした。多少の無理を言ったり課題として王道ではないアイディアを出してもいつも学生の意思を優先し、課題として成立するように導いてくれました。わたしの作品は最終的にデザイン科というよりアート科のようで、作家よりの制作ばかりしていましたが、それを否定することなく「そういう表現ができなければクライアントに頼まれた仕事も満足にできない」と笑顔で仰っていただけるほど、恩師と思える方でした。写真は専攻する学生が少ないのに施設管理者も含めて関わる大人が多くて、3年次には学生と先生がほぼ同じ人数という超少数体制でしたがわたしにはそれが合っていました。学生が不甲斐ないばかりに先生には苦労を掛けてばかりいましたが、わたしが有意義な学生生活を送れたのはそんな先生方と、切磋琢磨した専攻仲間のおかげです。

 

結果としてわたしは、あきらめたデザイナーの道はもちろん、フォトグラファーを志すこともなく、一般企業に就職します。それだけ見ると、わざわざ高い学費を払ってまで美術学校で学ぶ意味があったのかと考えてしまいますが、わたし自身としてはよかったと思っています。

学校で座って勉強するよりも、体を動かして学ぶことのほうが好きでした。体育は苦手でしたが、デッサンは手をひたすらに動かす作業だったので好きでした。高校時代は演劇をしていましたが、これも頭で考えるだけでは何も始まらず、とにかく動いて声を出すことで自分なりの答えを見いだせるものでした。写真も机上であーだこーだ言うだけでは何にもならなくて、撮ることでしか上達しないものでした。そんな、自分の好きなことを勉強できたことがよかった。

そして、『表現すること』に携われたこの時間が、わたしにとってかけがえのない財産となる。と確信しています。「好きなこと」の話に直結いたしますが、昔から絵を描くことも演劇もダンスも歌も好きで、そしてわたしはジャニオタです。コンサートや舞台を観ることも大好き。それを生業にしているひとたちが大好きです。生みの苦しみを乗り越えて、自分というたったひとつの存在を開花させることに尊さを感じます。舞台や作品を鑑賞するたびに、生きているという強大なエネルギーを感じます。わたしの作品も活動も大したものではないけれど、自分と向き合い続けて、ときに泣くほど苦しかったけど、どうしたら自分の思うことを表現できて、それを見てくれるひとに伝えられるのか!そこには自分自身が嫌というほど詰まっています。自分の想いを相手に伝える手段を熟考する、そんな作業はきっとこの先の自分を助けてくれるのだと信じたい。ジャニーズを好きでいることは、制作においてもかなりの刺激になりました。これを乗り越えれば現場だから頑張ろう!とか、華麗に踊る彼みたいにわたしももっと真摯に作品に向き合おう、とか、いろんなことを考えさせられました。勉強がジャニオタ生活をもっと楽しくしてくれたし、ジャニオタ生活が勉強をより奮い立たせてくれた。

 

「結局好きなことしかできないでしょ」

先生がそう仰っていて、まったくその通りだと思いました。嫌々やっても何も続かないし、一度きりの人生なら好きなことに尽力したい。そのなかで出会う苦しみに嫌になることもなるけれど、ほんとうに好きならそれを乗り越える力を生み出すことができる。発表をすることも評価されることもとても恐怖で毎日吐きそうになっていた、けれどその先で貶されることも褒められることも、わたしの次に繋がっていきました。そうやって、歩幅は小さくても、少しは成長できた。と思うことにしています。

就職先は芸術関係とはなんら関係ない一般企業ですが、配属業務によってはやりたい仕事のひとつが叶うので今から期待しています。学生時代から、社会で働きたい!と思っていたので。甘ったれが許された学生生活よりずっとつらいことが待っているかもしれないけれど、この季節を基盤に乗り越えていきたい。

 

卒業式は泣きませんでした。そういえばそのあとの謝恩会、の打ち上げで、先生の誰かが斉藤由貴の「卒業」を歌っていた気がするけれど、そのときにはだいぶ酔っぱらっていたので記憶が曖昧です。「卒業」みたいな青春、一度もなかったけどな!それに関しては後悔しかないけど!そしてきょうはThey武道が出演する番組協力に外れた涙を耐えたまま、Endless SHOCKを観に行くジャニオタです。ジャニオタ卒業式は、もっともっと遠い未来の話になりそうです。

 

でももっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの

 

*1:完成予想模型、的なやつ