雑記の表紙はグリーン

ジャニオタ備忘録(語るタイプ)

Beguiled Again - 『ロジャース/ハート』2018備忘録

もんのすごいお久しぶりなブログですが。

ふと下書きを開いてみたら、当時したためていた感想が眠っておりました。もうほとんど書けていたので(総括みたいな部分で止まってた)、なつかしさ&再演に向けた予習的な意味でUPします。

記憶もメモもだいぶどっか行ってしまったので、とくに推敲はしていないです。当時感じたものをそのままコピペしました。今年は配役もキャスト数も変わるし、それだけホンなども変わるのでしょうが、はてさてどうなるのでしょうね。楽しみです。

感想というよりただの解釈だしへたすりゃ怪文書ですが、どうぞ。

 

 

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『ロジャース/ハート』(以下R/Hと略します)も映画『ワーズ&ミュージック』(以下W&Mと略します)も似たような描き方をしていると思うのですが、仕事面=バディの友情だけフォーカスしても分かりにくいコンビの明暗を”恋愛”をキーに展開していくのが面白いなと感じました。実際のロレンツ・ハートは同性愛者でペギーは実在しない、という話もありますが、同じ条件で描くからこそ対比がより濃く出るのかな。*1もちろんR/Hの物語はそれだけじゃないのですが、”恋愛”を基点に比較してみると、短いストーリーをなかなか楽しく解釈することができました。しばらく述べます。といっても感想というよりはめちゃくちゃ妄想なので、思いっきり見た人向けです。お時間のあるときにお付き合いください。

以下。

 

ロジャースとドロシーの出逢い『The Girlfriend』

踊るドロシーを見てディック*2「あの子は?」ドロシーがはけたあとも行った先をぼーっと見つめるディック。〈キュートで スウィートで かわいい彼女 カンペキよ〉というようにとにかく彼女の可憐さを褒める歌。ディックはこのあとドロシーにメロメロ*3になるのでぴったりというか、全体的にハッピーで華やかな感じがディック×ドロシーっぽい。

 

ハートとペギーの出逢い『A Ship Without A Sail』

歌い出すペギーに彼女イイね!と嬉しそうなロジャース&ハート。ディックが先に去ったあとも少しとどまってペギーを見つめるラリー*4。ミュージカルのリハーサル、として歌われているけれど、その歌声にはどこか説得力があって、まるでペギーに重なるよう。〈ひとり 浜辺 側には誰もいない〉〈愛してくれない なぜ? 壊れそう My Heart〉〈だけど ひとり 漕ぎだすのよ 海へ〉その後の台詞にもあるとおり、ラリー×ペギーは愛することがテーマになっていく。

 

それが自覚を伴うかはさておき、ふたりそれぞれ女性を”見初める”きっかけの曲が、それぞれのその後の関係を示唆しているように受け取れる。

 

パーティーにて、ハートの告白

ダンスの輪の中からペギーを引っ張り出し、告白するラリー。「きみと付き合いたいんだ!どうかな?」自身の年齢や長身を謙遜し、わたしを面白がってるだけ、と優しく遠ざけようとするペギーにラリー「ほんとうにきみにしたんだ」ペギー「作詞家のあなたが選んだ言葉は、愛ではないのね」それまでと違う強い口調で言い放ったペギーに、ラリーは言葉を失ってしまう。

思うに、きっとラリーの想いは真摯だし、決して軽率ではないのだけれど、ペギーにとって”恋”は悲しきトラウマ、俗っぽく言うと地雷なんだろうなぁ。愛と恋の違いって何よ、って話ですが明確な答えはなくて、でもラリーは以降ペギーが放った「愛ではない」の意味をずっと追いかけていくことになる。この言葉がほんとうに重たくって、ラリーのペギーへの恋心だけでなく、作詞家としてのプライド、ラリーが人生を委ねる”言葉”というもの、それを選ぶセンス……いろんなものを一気にへし折ってくるもんだから、ラリーにも大きな衝撃を与えてしまったんじゃないだろうか……。

 

恋の気づき『This Can't Be Love』

対してディック×ドロシー、お互いに芽生えた感情を自覚するデュエットナンバー。〈そうだ恋をしたんだ〉〈すごい このときめきは 完璧に恋だ〉って、さっきラリーが否定された”恋”を、ディックは高らかに歌い喜びに打ち震える。ドロシーは〈いいえ恋なんかじゃない〉って冷静になろうとしてるけど〈だけど このときめきは もしかして恋を?〉と歌ってしまう時点でまぎれもなく恋なので、お互いが同じ気持ちで惹かれ合ってる様がなんとも微笑ましい。しかし男ばっかり浮かれててかわいいし、女性は踏みとどまろうとするけれど”ときめき”には逆らえない……!っていじらしさがある。かわいい。(結局)

 

想ったのなら即行動!積極的なラリーと、自覚はすれど想いは言えない臆病なディック。キャラクターの対比もさることながら、一方が振られてすぐにもう一方の浮かれ模様を描く演出がまぁエグイ。

余談だけど、『You Mustn't Kick It Around』の両ソロパート、ラリー〈愛を感じない 不安だけれども 想いは変えられない〉ディック〈嘘の優しさは いらないけれども 捨てられたくはない〉それぞれの性格というか恋愛の性質に合ってて、ナイス采配だなと。

 

手を取って『Thou Swell』

数年ぶりに再会したディックとドロシーがめでたく結ばれるナンバー。ほぼ歌詞のとおりで幸せそうなので特に言うことないけどw(おい)(後述のナンバーと並べたいので項目化しました)〈2Rooms and Kitchen 十分〉ってめちゃくちゃ気が早い上に〈どんな家なの?〉〈ん~それは 内緒!〉っておのろけ全開なので、ほんと末永く幸せにな……!ディックもドロシーも笑顔が晴れ晴れとしていてこちらも幸せな気分になれるし、ウェイターの乱入も一瞬で追い出されてしまうほど、とにかくふたりの世界が出来上がっている。

 

遠く離れて『Falling In Love With Love』

ラリー×ペギーのデュエットナンバー……ではあるんだけど、月明りの中で背を向けて歌うペギー、ペギーを待ち続けてひとりのレストランでぽつぽつ零すように歌うラリー、というように、ふたりが顔を見合わせているわけではない。『Thou Swell』が掛け合いで会話して手を触れてペアダンスして……ってどこまでも”ふたり”で成立するのに対して、この曲はひとりとひとりが遠く離れたところで歌っている。唯一のデュエットナンバーがこれって……!

歌詞はラリーよりもペギーの内心に近いのかな、というか、またひとつペギーという人間を考える材料になるかなと。わたしの思うペギーは「詳しくは分からないけれど訳アリの臆病な女性」。過去に恋愛でひどく傷ついてトラウマをつくってしまい、ほんとうの愛を求めているけれど一歩踏み出せないがためにつかめない。自分自身はコンプレックスだらけ、だけどそれを隠して明るく振る舞えるし、歌の才能があってステージで輝ける。……とくに後半は、ラリーにも重なる部分があるんじゃないかな。天才的な作詞センスを持っていて自由奔放、けどその奥にはコンプレックスや寂しさをぬぐえないまま抱え続けている。きっとふたりは似た者同士で、だからこそ惹かれて、だからこそ寄り添えない。

ペギーはなぜラリーの想いに応えないのか、はっきりした理由は最後まで明かされないままだけれど、〈恋に恋した 満月の夜 なんにも見えなくなった〉と歌うペギーの姿にその答えがあるような気がした。

 

『My Romance』と『Why Can't I?』

パーティーのあと、ドロシーを送り届け、想いを告げられないまま別れの挨拶を交わしたディックが歌う『My Romance』。

来ることのないペギーを待ち疲れ、ひとりぼっちのレストランでラリーが歌う『Why Can't I?』。

ディックは立ちつくしふと夜空を見上げて、ラリーは椅子に座りため息とともにうなだれて、それぞれに歌い出す。広い”外”と閉じた”内”の空間、モーションまで対照的。『My Romance』の〈醒めても 素敵な夢見てるよう〉に対して、『Why Can't I?』の〈なぜぼくに見れない夢〉、同じ”夢”というフレーズを用いながらもその心情は真逆。どちらも愛しい人を求める歌、なんだけど、一方は希望満ちてもう一方は孤独に咽ぶ。これが同じ夢を目指したコンビのソロ曲というのだから、苦しいやら切ないやらで、でもどっちの方がいいとかはなくて。それぞれの恋が輝いていて、ディックは優しくて美しいし、ラリーは悲しくて美しい。

余談だけど。『Falling~』『Why~』のシチュエーション、ラリーがペギーに歌わせた『Second Blue Moon - The Bad In Every Man』の〈小さな食堂ひとり 長い夜は続く〉と重なりますよね。レストランがどの程度の規模かはセットからだけでは察しきれないけれど、小さいってことにしたい(こじつけ)

 

誰に宛てた『My Funny Valentine』?

すっかり身持ちを崩してしまったラリーが納期を破りながらも歌詞を書き上げ、ペギーに歌わせたナンバー。〈あなたの姿素敵じゃないけど わたしには愛しい〉〈でも 変わらないで そのままでいて わたしのために〉ペギーは歌いながら涙し、最後は微笑んで歌詞の書かれた紙を抱きしめた。ラリーはうつむいたままその表情を覗かせず。ディックははじめこそ作品のことを考えながら仕事として聞いていたようだけれど、途中でハッとした顔でラリーを見る。そこにいる全員が気づくのだった。ラリー最大の”公私混同”に―― ……さて、ラリーはこの言葉たちを、一体誰に向けて書いたのだろう?

わたしは最初、ラリーがペギーに贈ってもらいたい言葉、なのかと思って聞いていて。たくましくない、スマートじゃない、弱い表情……って蔑む言葉の連続は自虐で、きっとペギーは理解してそんなことしかできない自分を憐れんでくれるだろうから……。『Why~』『Blue Moon』でラリーが歌う、愛される”夢”、それを見たかったんじゃないかな、と。

でも何回か聞いて、そのたびペギーの歌う姿を見ていくうちに、この言葉たちはラリーによるペギーへの愛なのか、とも思えるようになった。ひどい女(再会も避けるほど応える気がないくせに、はっきりと拒絶もしてくれないし)で臆病でコンプレックスに塗れた人、だけどそんなあなただから好きになった、ぼくの恋に応えなくてもどうか愛するペギーのままでいて……そんな想いをこめたのではないだろうか。だからペギーはあの言葉たちをぎゅっと抱きしめて泣いたんじゃないかなぁ。

ところでディックもめっちゃハッ!としてラリーの思惑に気づいた感じを見せるのですけど、どこまで分かっていたんだろうか……というのは一生のw疑問である。分からなくてもいいのかなぁとか。きちんと想いを結ぶディックにラリーの想いのすべては分からなくていい。でも、ラリーがどんなに恋に焦がれたか、そばで見守ってきたのもまたディックだろうから。さぁどれくらいだろうなぁ。

 

孤独にさよなら『Blue Moon』

如何せん芝居パートが少ないのでラリーが寂しさを感じてる分かりやすい描写も少ないんだけどwペギーとの恋愛以外で挙げるとしたらディックとの対比、もひとつなのかな。ディックとドロシーがうまくいくこと自体はもとより、舞台上の演出も、ディックがうまくいってるときにラリーが苦しい表情を見せるよう配置されてる。『This~』でディックが浮かれながら歌ってる後ろでラリーが一人酒を煽ってるし、ディックとドロシーが仲睦まじく話し込む奥ではラリーが帽子を目深に被る。それは、ディックに嫉妬するとか遠くに行かないでとかいう感情ではない、と思うけど(お互いの気持ちにはきちんと寄り添えるし、そういうことで嫉妬し合うバディではないなと)相棒のディックとも隔離してラリーを独りの世界に落とし込むのが、まぁ残酷だな……と。あと分かりやすかったのがパーティーで5人が輪になって踊っているのにラリーだけがソファにいる構図。意図的にはぶってるんじゃなくて、ラリー自身がふと独りの世界に入っていってしまうんだよね。……というのが『Blue Moon』の話をする上での前提だなと思ったので書いておきます。

〈現れた突然目の前に ずっとそばにいたい人〉って歌われると『A Ship~』で振り向いた瞬間のペギーが浮かぶ。〈輝く月夜の中で 聞こえた「愛してほしい」〉は『Falling in~』。ペギーとラリーが別々の場所にいながらデュエットしてるような不思議な空間は、ラリーが悲しみと孤独の中でペギーの声を聞いたような――ペギーの言った「愛ではないのね」の意味が分かったような――そんな悟りのシーンだったんじゃないかなぁ。〈分かっていたんだ 愛したい人を 想うだけでいい〉〈愛する人が 心にいるよ〉って、愛されることを夢に見るほどなのに最後までラリーを満たすのはそれではなく、自分の中だけで想う、そのことで孤独の寂しさから解き放たれるなんて切ない。ラリーは”愛”というものにとても不器用だった、それでも〈それだけでいい〉って、きっとひとつの答えを見つけて、幸せに触れたんだろうなぁ……。

〈もう独りじゃない〉と高らかに歌い放つラスト。W&Mでディックが亡くなったラリーのことを「ひとりぼっちだと思い込んでいた男」と称していて、追悼コンサートにもこんなにたくさんの人が集まるほどなのに……と悲しくなったりしたので、R/Hのラリーが「独りじゃない」と言ってくれるのが嬉しい。結局それは、自分が愛することであり愛されることにシフトしなかったのはラリーの切ない性だけど、愛を抱くに至ったのは、周りのラリーを想う気持ちを、すべてではないにせよ彼も受け止めることができたからこそ、だったのではないかと考える。

ところで今まで、ペギーへの想いを中心に解釈してきたけれど、この『Blue Moon』、相棒ディックへの想いも含めて受け取れるなぁとも思う。順風満帆なディックに対して嫉妬や羨望ほどの燃え滾るものはなくとも、その光景がラリーのコンプレックスを刺激したり、相棒が自分の踏み込めない世界に目の前でトリップしていくことへの疎外感みたいなものって、寂しさとして抱くのはとても自然だなと思っていて。加えて、このナンバーってラリーの孤独の昇華だけでなく、(この舞台中で)彼が天命を全うする*5にあたる辞世の句、みたいな意味合いもあるように受け取ったので(曲中にディックの台詞が入るしね)ドロシーと育む愛も、この先の成功も、先に旅立つラリーがディックを想っての〈愛したい人を 想うだけでいい〉なのだとしたら、あまりに切なくてあまりに愛おしい。〈現れた突然目の前に ずっとそばにいたい人〉って相棒に捧げる言葉としてもとってもドラマチックでエモい。初めて会ってその場で聞いた曲が自分のインスピレーションを沸き立たせて、彼のメロディと自分の言葉がベストマッチだったんだから、これがロジャース&ハートの運命に他ならない。

愛する人が 心にいるよ〉の言葉には、ペギーやディック以外にも、数々の場面で仕事を共にした人々の顔が浮かぶ。それほどにラリー、もとい矢田さんが、雄大に、すべての愛を抱くが如くに響かせてくれた。

(だんだんと主題がグラデーションしていることが透けて見える文章ですがw、対比の話はここまでで、下はただロジャース&ハートのはなしです。)

 

「Beguiled Again.」

「ラリー、ぼくはきみにさよならは言わないよ。だってぼくたちがつくった数々の楽曲は、永遠に語り継がれるんだから。……それじゃあ、また会おう。Beguiled Again.

亡くなったラリーにディックが贈った言葉。Beguiled Againはフィナーレ曲『Bewitched』にあるフレーズであり、原作となったアメリカ舞台版のタイトル。演出の玉野氏は「魅せられて、また騙されて」と訳したそうだけど、なぜディックは最後にラリーへ贈る言葉にこれを選んだのだろう。

ディックは、ラリーに魅せられたのだと思う。あの日のラリー邸、出逢いの場で、自分の曲に詞をつけてもらったときに。ディックは一見ぞんざいな態度のラリーに少しの苛立ちは見せたものの、近づいてきたラリーに背筋を正したり、名前を憶えてもらえないほどテキトーなのだから怒ってもおかしくないくらいなのに、曲を褒められたことに素直に喜ぶほど、真摯にピアノを弾いていた。このときディック16歳、ラリー23歳。16歳から見る23歳は、少し大げさに大人に見えたのではないだろうか。そんな存在によってもたらされた言葉で、自分の曲が彩られ、たったひとつの歌になった。まだ若く小さなディックの世界はふくらみ、色づいて、色をつけてくれたのは紛れもなくラリーで、それはきっと格別な高揚感。『Blue Moon』の〈現れた突然目の前に ずっとそばにいたい人〉は、ラリーだけでなく、同時にディックにとってもそうだったはず。それからふたりはお互い才能と自分たちコンビの可能性を信じて、ふたりで世界を魅了して、ふたりの世界を魅了し続けた*6

だから、Beguiled Again。ディックは再びラリーに出逢うとき(それは概念的なものになってしまうだろうけど……)過ぎし日のように「また魅了して」ほしい、これからもふたりで世界を「魅了して」いこう、そう願っているんじゃないかなぁ。ふたりの出逢い、夢を形にしたブロードウェイ、ハプニングだらけのラジオ収録、踊り明かしたパーティー、ドタバタのハリウッド。得たもの、消費されたもの。どのシーンにもふたりの青春を感じる。「Beguiled Again.」その言葉を聞くと、それらのシーンが走馬灯のように駆けていき、せつなくもあたたかな気持ちになれる。

「それじゃあ、また会おう」死がふたりを別ったあとの世界で、それが叶っているのがまさに現在。100年の時を越えて、リチャード・ロジャーズは林翔太、ロレンツ・ハートは矢田悠祐、それぞれの役者の体でまた廻り合って、当時の音楽を知らない人も多くいる客席に数々の楽曲が届いて、心をときめかせる。

Beguiled Again、ずっと輝き続ける、ふたりの物語。

 

 

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うぃ~~。

Beguiled AgainにAgainできる2023年、めっちゃうれしいですね。読んでたら初演キャストが恋しくもなりますが、再演キャストにもとても期待しています。やしにし――はやてらちゃん、シーエイティーの名コンビ(俺たちはチーム!!!!!!!名コンビだ!!!!!!!!!!!!!!)になれ……。

*1:というより、単純に描きにくい理由もあったのかなとも想像できますが、その辺は(時代背景とか)詳しくないので想像するにとどめ置く

*2:文中ではニックネームを用いることにします

*3:死語ですか

*4:文中ではニックネームを用いることにします

*5:ジャニ育ちだもんでラリーが舞台中央の台に登るのはもう絶対そうだと"""わかって"""しまう

*6:宮崎さんがパンフレットで、ロジャース&ハートの音楽について「売れようという思いや、仕事としてやっている感覚がまったくなく、つくる喜びに満ちている」と仰っているのが好きです