"We're MADE in Love!"〈Winter Paradise 2019 MADE公演〉

Winter Paradise2019~ふゆパラ~MADE公演の感想です。

◇入ったのは11/6昼夜
◇勝手にセトリ考察とか歌詞こじつけとかしてますので適当に読み飛ばしてください
◇考察の類はただの感想なので公式の見解(各メンバーの連載や雑誌掲載のセトリ・レポ等)とは無関係です、見当違いは気にしないスタイルです、念のため答えだとも思わないでくださるとありがたいです
◇MCレポとか接触レポとかはありません
◇一日しか見てない+書くのに時間がかかったのでかなりうろ覚えですすみません……細かいところは見逃してください(極端に違うところがあったら優しく教えてください)
◇書いてる人は健翔くんが好きです

あと例によって無駄に長いので時間があるときにどうぞ。

 

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シアタークリエ、若草のころ

(オタク特有の妄言なのでLittleWomenの感想ではないのですがしっかりネタバレしてるので気をつけて)(作品を妄言の材料にしてるので苦手な人も気をつけて)(以前書いたのと似たような日記です)

 

 

 

「もっともっとおっきい会場でできると思いました。確信しました」
「みんなでそこに行きましょう!」
「これからも僕らと一緒に旅を続けていきましょう」

言葉たちをまだこのブログに残したままにしている。とくに消す必要はないのだが、でも、消せないなぁと思っているからだ。インターネットにだけではない。心にもあるし、その響きをはっきりと覚えている。2015年5月、シアタークリエで聞いた彼の声だ。

 

2019年9月25日、シアタークリエ。一ヶ月ほど続いた『Little Women~若草物語~』東京公演は、めでたく千穐楽を迎えた。キャスト挨拶にて、林翔太くんが言った。

「個人的にこのシアタークリエというのがぼくの中で思い入れのある場所なので、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、演出の小林さんと帰ってくることができて幸せです」

この「思い入れ」、はやしくんのオタクなら簡単に概要(中身は彼だけのものだからね)を察することができて。彼がグループに所属していたころ、They武道宇宙Sixとして主演のコンサートをしていた会場だからだ。

(一応、若草物語を通じてこれを読んでくれている非ジャニオタの方がいるかもしれないので説明すると、)普段は主にバックダンサーなど先輩のサポートとして活動することの多いJr.にとって、単独のコンサートステージというのは特別なものなのだ。はやしくんにとってそのステージは、一度の別会場*1を除いてはクリエしかない。ほかの大きな会場での開催を叶える前に、彼はグループから離れる道を選んだからだ。

 

はやしくんのその言葉を聞いて、うっかり感傷に浸っている。(以降、ひたすら感傷に浸るだけの文章なので殊更お気をつけいただきたい。)オタクにとっても特別な会場だ。「思い入れ」というのは、めちゃくちゃ、死ぬほどある。たとえそれが『ジャニーズ銀座』という催しの一環に過ぎないのだとしても、大好きなはやしくんの、They武道の初単独ステージであることは揺るぎなく、登場一発目の金色の衣装がまぶしかったことも、配ってくれた手紙の朗読で大号泣したことも、「飛行機」や「遊園地」とコンセプトを打ったセトリの楽しさも、何もかもを覚えている。はやしくんの歌に聴き入るあまりペンライトがぴたりと止まった景色。響く声。They時代は演出面も担当していたから、「シアタークリエの演出家」としての彼も見ていて。こんなにも素晴らしいものがなぜ600人×5ステージ分の人(しかも延べ人数)にしか見られないんだという悔しさを抱え、ステージが拡張し花道が伸びて火花が上がれと願い、でも、ファンばかり密集した閉領域への愛おしさも確かに感じていた。

クリエでコンサートをしていたころ、わたしはThey武道というグループにものすごく固執していたしまさしく溺愛であった。(このブログに恥ずかしげもなく残してありますが。w)そして宇宙Sixを好きになろうとしていた。信頼はすべてステージの上にあった。

 

クリエに「思い入れ」がある、ということは、挨拶の以前にもメディアで言っていて。それって確実にグループにいた時のもので、今それを言うのはちょっとずるいなーって、いやはやしくんが保身的な意味でずるいっていうんじゃなくて(だって彼自身の経験に対して他人がそんなこと言うの絶対に違うし)、思い出抱えている系のこちらに刺さる発言だなぁと思っていた。

 

ミュージカル『Little Women~若草物語~』。有名な小説『若草物語』とその続編を原作に、主人公・次女ジョーと四姉妹の成長を描くお話。彼女たちの少女時代は「若草のころ」と呼ばれていて、成長を描くのだから、当然、それを脱してもいく。家族が世界のすべてであり、永遠を誓い合った少女たちは、恋、夢、死、旅……大人になる過程でさまざまなことに出会い、その形を変えていく。

こんなエピソードがある。長女メグは四姉妹の中で最初に最愛の男性と出会い、プロポーズを受ける。喜ばしいことだけど、「マーチ家の四姉妹は永遠っていう、あの約束はどうなったの?」誰よりも家族愛を原動力にするジョーは、それをすぐには受け入れられない。そんなジョーに三女のベスが言う。「でも、メグが彼を愛してるって言うのなら――!」

わたしはこのシーン、すごく、あぁ、ってなることがあって。どっちの方が大事かとか、そういうことじゃなくって、ただ自分の心に素直に従わざるを得ない瞬間というのがあり、それにはあらがえないのだなぁと。……前置きをした通り、この記事は舞台の感想ではない。オタクの妄言である。そのうえで、すごくはやしくんのことを思い出すのです。あんな約束こんな約束したじゃないか、このクリエで。言ったのはあなたで、頷いたのは仲間で、聞いたのは客席で、その一席にわたしいたなぁって。ジョーの問いかけにメグは言う。「その約束はずっと昔のことよ。わたし変わったの」それは紛れもない真理なのだ。メグは、約束を嘘にしたのではなくて、ただ、心の呼ぶほうへ、愛する人と一緒になる道を選ばずにはいられなくなっただけ。前述のベスの「でも――」は、小説家になって家族の望むものすべてを与えてあげる!という「若草のころ」真っ只中の約束をジョーが持ち出したことに対するものだ。彼を愛しているならば愛し合わせてあげよう、メグの望むものは彼にしか与えられないものだと、そう言いたいのかなとわたしは思った。きっとはやしくんもそうだ。約束、そのときの想いを嘘にしたわけじゃない。彼の望むことにしか与えられないものがあって、その心に従わざるを得ない瞬間があったのだ。……そうはいっても、叶わないんだなぁ。複雑だなぁ、思い出してしまう。言い聞かせて時間をかけて咀嚼したのだけど。メグが彼への愛を宣言し立ち去った後で、ジョーはつぶやく。「……メグを失った」

 

ジョーは家族愛が強い。父親が不在の家族の中で自分が父変わりとなり、職業を得て、お母さまや姉妹を養っていこうと奮起する。故に頑なな部分があって、彼女は年月とともに変わっていく家族の形に困惑する。隣家の家庭教師ジョンと結婚し、双子の母親になるメグ。ヨーロッパ旅行を経て洗練された女性となり、隣家の親友ローリーと結ばれた四女エイミー。そしてジョーにとって最も特別な存在であったベスは、病気の末に天国へと旅立った。四姉妹の思い出の場所、屋根裏部屋で泣き濡れるジョーは、お母さまに励まされ、立ち直っていく。

〈この心だけは永遠に奪えない 決して〉
〈交わした約束のすべてがここにある〉
〈過去のささやかなすべて ここにある 急に人生が見える〉
〈四人がここにいるわ 驚いたことに 永遠に〉

人生は諸行無常で、起きてしまったことは変えられなくて――でもそれって、「変わることのない、起きたこと」もあるってことで。約束のすべては、マーチ家の姉妹の永遠は、屋根裏に、そして、ジョーの心の中に在り続ける。誰にも奪えない聖域の中で抱き続けるもの。人は変わっていく。ときにそれはとんでもない裏切りや、虚の象徴にも思えるかもしれない、変わらざるを得ないものならばその中で、「変わらないもの」を優しく大切に愛していくことができるなら――「変わっていくもの」のことも、同じように愛して、受け入れていけるのだろう。

 

わたしのオタク人生にとってシアタークリエでかつて見た輝かしい景色は、感じずにはいられなかったあのどうしようもない愛おしさは、「若草のころ」なのかもしれない。はやしくんがやりたいことをやる人生が一番最高だって、それを確固たるプライオリティだと思っているけれど、割とねちっこい人間なのでifの世界とかすごい考える。あのままでいられたら――みたいなこと。あのころ思っていた未来とは、叶えてほしいと願っていた約束とは、ちがうところにいるし。でもだからって、叶わないからといって、あの頃の気持ちは捨てなくていいんだ、ってそのシーンのジョーを見てたら思える。大事にしていればいい。だって嘘じゃないから。たしかにあったから。「変わらない」から、それは。誰かに強要するんじゃなくて、誰にも奪えない自分の心の中で、ずっと。そうして、未来を見ていけばいい。

「変わることは裏切りじゃない」、これもずっと思っていること。だって成長は、前進は、美しいのだから。あの頃もよくて、今も素敵で、はやしくんはずっとずっと素敵だから。

おんなじような話をします。「(観客を含めた)この全員が集まることは二度とないと思うんですけど、皆さんと今日ここで過ごした時間は死ぬことはないんだなと思うと、ほんとうに素晴らしい時間を過ごせたなと思いました」そうご挨拶されたのはベス役の井上小百合さん。自分の命の終わりを悟ったベスは、ジョーと過ごす浜辺で歌う。〈終わりのないもの この魔法の時間 あなたへのこの愛〉〈でも死なないの 遠く離れても あなたとの時間は〉ベスの言葉と、ベスを生き続けた井上さんの言葉も、深く染み渡るものがあって。時間は過ぎ行くものだけれど、死ぬことはないのだということ。時間も、想いも、大切に抱き続けてゆけるのだということ。

 

挨拶ではやしくんは、シアタークリエに立つことを「帰ってくる」と表現していて。もう一度立てた、とか、戻ってきた、とかじゃなくて。はやしくんにとってクリエは「帰る」場所なのかと。なれば、もしかすると、はやしくんの抱く「思い入れ」は、この劇場で仲間たちと過ごした、確かに存在した時間は、彼にとっての「若草のころ」なのではないだろうか――思わずそんなことを考える。推測だけ。曇りのない真心は彼にしか分からない。

離別の際にメンバーが綴っていた言葉「翔太は家族だから」を度々思い出している。家族なんだもんなぁと、それ以上は上手く言えないのだけど。ただ感傷に任せて文章を書いているけれど、わたしは決して、はやしくんの選択のすべてが美しいと崇められるものだとは思わないし、選ばなかったものたちが輝く道の犠牲になったとも思わない。間違ってないけど、正しさをジャッジすることはできない。そして、はやしくんにとってグループの夢を追いかけていた過去が「若草のころ」だったとしても、離別はそれを脱したことを意味していたとしても、今もグループという選択を最良としているメンバーたちが「若草のころ」に取り残されていると思っているわけでは、断じてない。彼らには彼らの歩みがある。あくまでも、はやしくんはそうだったのかもしれない、という一方的な推測にすぎない。

いじわるなオタクだから、一緒に帰ってくる人がちがうんじゃねーの、とか一瞬思ったりして。でも、ちがくない。これが過去を経て未来へつなぐはやしくんの「今」だから。死なない時間が、変えられない過去があるからこそ、今はこの人たちと帰ってきたことがすべてなんだろうな。

 

……なんだかんだ言ってもそれは、「若草のころ」に固執とも言える思い入れを捨てないままでいるわたしが夢想するだけのこと。はやしくんが「帰ってきた」と言う意味を真面目に(いや今までも真面目だけど!真面目に煩ってるもんで!)受け取る。あの頃よりずっと成長して帰ってきたよってことなのかなぁ、活躍することが応援してくれるすべての人への恩返しだと、常々言っているはやしくんのことだから。

あのときもこの客席で美しい歌声を聴きながら思っていた。もっとたくさんの人にこの素晴らしい才能が知れ渡ったらいいのにって。そしたらもっと広い世界へ彼は(彼らは)行けるのかなと。それが今、5ステージには留まらないたくさんの公演を重ねる中で、多くの人が観劇をして、林翔太くんって初めて見るけどすごいねって、そんな声がほんとうにびっくりするくらい挙がっていて、なんて素敵なことだろうと思う。

 

ヨーロッパ旅行から帰ってきたエイミーは、ジョーに見せたかった景色を得意の絵に描いて本にまとめ、お土産として彼女に渡す。「受け取れないわ」と戸惑うジョーに、エイミーが言う。「いいえ、受け取れるわ。わたしたちはこれからもずっと一緒よ、それは永遠に変わらないわ」エイミーは「若草のころ」を脱していた。かつてはたくさんのコンプレックスに苛まれ、ジョーに憧れるが故に嫉妬してぶつかり合っていた末っ子も、本人がいうようにたくさんの経験によって洗練され、少女がレディとなった。ローリーと婚約し、ローレンス家の妻となる将来を選んだ。エイミーは変わった、けれど、遠く離れた土地から会えない家族を想ううちに、確実に変わらないものがあることに気がついたのだ。ジョーよりもすこしだけ早く。その言葉を聞いてジョーは笑顔で本を受け取る。「変わらない。――エイミーありがとう。あなたの絵は美しいわ」

はやしくんは変わった。ここで散々述べた今の道の話もそうだし、この夏を越えて、ただでさえ上手だった歌が格段に上手くなり、ミュージカル唱法を見事なまでにモノにしていた。記事や劇評に書かれていたミュージカル界本格参入への期待が形になれば、ますます広い世界へと出ていける、大きな存在へと成っていくのだろう。それでも、シアタークリエに「思い入れ」を抱いて「帰ってくる」はやしくんは、ずっと彼のままなのだ。見続けたいとファンが願う限り、過去も未来も続いていく、あの頃も今もそれはずっと変わらない。だからわたしは受け取れる。過去にしてくれた約束のことも、「思い入れ」を大事にする姿も、自分の道を選んでいく未来も。「ありがとう、あなたは美しいわ」そう言えたらきっと幸せなのだと思う。

 

はやしくんが「帰って」きた、「思い入れ」のある劇場。東京公演を終えて、今度は名古屋、福岡へ。そしたら次は別の作品で、別の劇場へと、彼はまた次々と旅を続けて行くのでしょう。見続けていよう、その姿。「若草のころ」を時々思い出しては、心にそっと抱きながら。

 

おかえり、はやしくん。いってらっしゃい!

 

 

But it wouldn't be make believe...〈SHOW BOY〉

ふぉ~ゆ~主演【SHOW BOY】大千穐楽おめでとうございます。光も影もすべてひっくるめて人生はエンターテイメントだ最高!っていうパワーを感じさせてくれる素敵な作品でした。

劇中の『ペーパームーン』がとても好きで、Twitterにつぶやいていたら長くなったので以下にまとめます。本編を総括する感想ではないです。(それもできたらどこかでまとめたいけど。)まとめただけなので前置きもオチも中途半端ですが。

 

(いつもながらの感想というより(拡大)解釈です)
(セリフはニュアンスです)

 

 

 

 

SHOW BOY第2話『ペーパームーン』。

 

男はギャンブラー。カジノで全財産を使い果たして途方に暮れている。カジノに突如現れた少女は、同伴者がいないことを理由に入場を断られている。「賭けさせてくれたっていいじゃない」少女が抱えているカバンの中には大量のチップが。それを知ったギャンブラーは少女の兄を名乗り出す。「わたし、一人っ子だけど。兄のようなおじさんならいる」少女の言葉に合わせ、ギャンブラーは少女のおじさんとして同伴者となり、二人は難を逃れた。そしてギャンブラーは少女にカジノの案内役を申し出る。お目当てはもちろんカバンのチップだが、賢い少女は逆にギャンブラーを翻弄して……。

というのが大まかな導入。

 

ギャンブラーは「ギャンブラー」という役名で、少女にもプロのギャンブラーを自称するが、本当はギャンブラーではない。それは少女にもすぐ見抜けるほど 素質のない男で、実のところは起業のため祖父の山を勝手に売り払ったために家を勘当され、事業はすぐに失敗、出口の見えない借金返済の日々を送る、ただの冴えないだけの人。

少女は同伴者がいない理由に両親が死んだことを挙げるが、実際、父親は生きている。少女は、このSHOW BOAT内キャバレーでショーを行うマジシャン、Mr.マジックの娘なのだ。

嘘をつき合って、にせものの親戚となった、初対面の二人。

 

ギャンブラーがカジノで少女をかばったのはたしかにチップ目当てだが、初動の動機は「パパもママも死んだの」という少女の(嘘の)告白にあったのだと思う。その後、少女に真実を聞かされ(「パパも今日、わたしのなかで死んだの」)、ギャンブラーは家族の大切さを少女に説く。ギャンブラーがカジノで一山当てたい真の目的は、借金を返して勘当を解いてもらうこと、家族として妹の結婚式に参列することだった。縁を切られたのは自業自得だけど後悔している、できればもう一度やり直したいと。

少女が心の中で父親を殺したきっかけは、数十分前のこと。少女のお気に入りのマジシャン、まだ見習いで、十年経っても結果を出せない父の弟子。舞台に立たせるための試験の出来は毎年散々なもので、とうとう本日、Mr.マジックは心苦しくも見習いにクビを言い渡した。少女は、見習いを切り捨てる父の決断に反発したのだった。

 

少女がギャンブラーに問う。
「子どもから、大人に質問。ねぇ、人生って変えられるの?それとも、変えられないの?

 

大量のチップを抱える少女はワケアリに思えるが、実はそのカバンは拾っただけのものである。(人のものを盗むのはいただけないが、最終的にはコメディとして解決するのと、この話の筋とは関係ないので置いておく。)少女がなぜカジノに来たのか?という理由の芯の部分は、作中では明示されない。考えるならば、何かが劇的に変わるところを体感したかったのかな、と思った。少女が解決したい見習いの件において、彼女はかなり無力だ。プロである以上妥協できないラインを持つ父を説得するのは難しく(それでもMr.マジックは見習いにかなりの温情をかけていた)、見習いがうまくやれるようになるしか道はない。それなのに彼は、どんなに一生懸命でも、一向に上達が見られない。少女はそんな彼らの姿を見てきた。十年という歳月を思えば、そのもどかしさはいかほどか。賭け事には、自分の選択とツキが重なったとき、1が10にも100にもなるチャンスが現れる。ギャンブラーがカジノに100万円をつぎこんだのと、根底でつながるような思いが、少女にもあったのかもしれない。お金があるからといって見習いを引き止める手立てにはならないかもしれないけれど。自分の選択が、勝ちに転がるような体験を、無力だからこそ求めていたのかもしれないな、と。無意識にでも。

とはいえ、そこまで確固たる思いでカジノに来たのなら、少女はきっとギャンブラーの誘いなど受けずに自分で賭けに挑んだだろうし、ちょっと大きなことがしたかった、とか、むしゃくしゃしてるところにちょうどよくチップが……的な、もっと漠然としたものも大きかったんだろうな。とも思う。

 

人生って変えられるの?それとも、変えられないの?」少女はギャンブラーに二度同じ質問をする。一度目は、唯一手元に残る薄汚れたしわくちゃの一万円をひらりと見せて「……見りゃ分かんだろ」と投げやりに言うのみだったギャンブラー。二度目は、少女とピアノを連弾した後。「あの一万円札は、ただの紙切れじゃない。一万円以上の価値がある紙なんだ」勘当され田舎を出るとき母親が持たせてくれて、以来ずっと握りしめていたという。どうしようもないことばかりしてきて、自分がバカなことも身に染みていて、それでも彼は家族との再生を諦められない。100万円をチップに変えて、すべてなくしてしまっても、たった一万円だけは手放せない。ギャンブラーにとってこの一万円札は、唯一の絆の欠片であり、希望であり、しるべだ。

ギャンブラーは少女の問いに二度も言葉を返しながら、答えを示すことはない。変われないとも、変われるとも言えない。変える力も持ってないけれど、燻りながら、輝きながらそこにあるのは、「変えたい」という想いのみ。ずるくて弱くてクズで、質問に答えはくれない「おじさん」だけど、そんな彼に少女は寄り添っていく。それは、現状を変えられない虚しさと、それでも変えることを諦めきれない想いに、シンパシーを感じたからではないだろうか。

 

そして二人は楽しそうに歌い出す。『It's Only a Paper Moon』を。

 

ペーパームーン』というタイトルを見た時点でピンとくる人も多いと思うが、この章は映画『ペーパームーン』をオマージュしている。映画は、詐欺師の男が、死んだ恋人の娘を家まで送り届けるロードムービー。『It's Only a Paper Moon』は劇中歌に用いられている。恥ずかしながら浅学で、映画も楽曲もSHOW BOYを通じて初めて知った。映画を見るには至らず、あらすじに目を通した程度なので、それについては深く触れないことにするが(有識者の方頼みます!)SHOW BOY版の楽曲がとても好きで、そちらは英語詞の曲も聞いた。

 

SHOW BOY版は、

まるでペーパームーン いつだってペーパームーン
ほんものの月には程遠い

選んだ道 進んできた道
そのすべてが間違いで すべて幻

選んだ道 進んできた道
なにもかもを はじめから やり直せたら

というように(抜粋)、現状の遣る瀬無さを歌っている。言葉だけだと暗い印象を受けるが、明るいメロディとファンタジックな演出が、涙にくれる絶望感ではなく、~だったらいいのになぁ、といったような、ちょっとした希望みたいなものを想起させてくれる。英語詞のサビはこちら。

Say It's only a paper moon,
Sailing over a cardboard sea,
But it wouldn't be make believe,
If you believed in me.


Yes, It's only a canvas sky,
hanging over a muslin tree,
But it wouldn't be make believe,
If you believed in me.

紙でできた月だけど、布に描かれた空だけど、あなたがわたしを信じてくれれば、にせものとは思えなくなる。そんなメッセージの愛の歌で、SHOW BOY版は英語詞に忠実な訳というわけではない。 

 

曲中、二人は作り物の月に腰掛けて、少女が言う。「おじさんが、ほんとうにわたしのおじさんだったらいいのに」ギャンブラーは少女の頭を撫でて、二人笑い合う。嘘つき同士、にせもののコンビは、いつしか「ほんとう」を想うようにまで、心を通わせていたのだ。

〈ほんものの月には程遠い〉二人はそう歌うけれど、言葉のその先には、〈But it wouldn't be make believe, If you believed in me.〉があるんじゃないだろうか。信じることができれば、想い合えば、にせものとは思えない。にせものかもしれないけれど、ほんもの以上に価値のあるものになる。紙の月も、二人の絆も。二人が腰掛ける月は、実際に船内にあるものではないと思う。ギャンブラーがピアノを弾きながら歌い少女のそれに乗って踊り始めるこの曲は、ピアノを離れ踊って月に座って……曲の終わりはまたピアノに戻って、弾いて結ぶ。ギャンブラーも少女も元の位置に、ずっといたかのように。おそらくあれは、二人の心象風景。舞台が魅せるつくりものの演出、けれど、通わせ合った心は「ほんとう」だと思える。演劇的で、ショーとしてもとてもキレイ。すてきなシーン。

 

少女はギャンブラーに、ほしがっていたチップをあげることにする。(ここで、いらねぇよ……☆ってならず素直に嬉しがるのが彼の彼たる部分である。)「見習いをステージに立たせる」ことを交換条件にして。この人になら想いを預けられる信頼と、もしかしたらなにかしでかしてくれるんじゃないかという、少女の大博打だ。カバンを追いかけてきた警察に捕らわれた少女はギャンブラーにカバンを預け、叫ぶ。「人生は変えられるって、わたしに教えて!」少女の言葉を胸に走り出すギャンブラー。第2話はここで終了。

 

そしてギャンブラーは、「人生は変えられる」を証明する。

あの後、奇跡的にバックステージに転がり込んだギャンブラーは、見習いとMr.マジックに出会い、頼み込むことで、最後の試験として見習いがステージに立つ許可を得た。(Mr.マジックはギャンブラーに「どうせ娘に頼まれたんだろ?」と言う。少女もまた自ら行動することで見習いを救った、まったく無力ではなかったのだ。)そして高まったギャンブラー、なぜか「よし、こうなったら俺も何かやるぞ!」と意気込み、勝手に衣装を借りて、勝手にショーに出演してしまう。他にもいろんなことが起こりまくって、ショーはカオスを極めるものの、大成功を収める。

ショービジネスにまるで無縁のおじさんが、なぜかカンパニーの一員としてショーをやり遂げる。コメディに則したカオスではあるが、この人この瞬間の人生を変えてしまったじゃないか、と気づいたときには、おかしさと同じだけの感動を覚えた。一杯目の注文もコインの裏表も、女か男かも、何度も迷って決められない。それで騙されたりツキを逃す、優柔不断なギャンブラー。けれど、ステージに立つと決めたのは、ノリと勢い、驚くほどの即断だった。「こういうのはパパッと決めた方がいい」エンジェルの言葉が蘇る。これこそが、ギャンブラーが自分の選択によってツキを掴んだ瞬間だ、そう思った、

ちなみにギャンブラーはカバンのチップを手にすることはできない。本来はおとり捜査のために警察が用意したものだったので、少女となかよくごめんなさーい☆して返してしまった。家族に会えるだけの金を稼げるのか、この先うまくいくのかまでは描かれてもいない。けれど、少しはいい方向に転がってくれるんじゃないか。ギャンブラーがショーに飛び込む様は、そんなポジティブな気持ちをもたらしてくれた。

 

ペーパームーン』。おじさんと少女という設定や曲のオマージュだけでなく、これは単なる言葉遊びの妄想にすぎないかもしれないが、「月(ムーン)」と「ツキ(運)」、「紙(ペーパー)」と「紙幣(一万円札)」というふうに、物語のキーワードやモチーフがタイトルと連想できるのが面白い。とくに一万円は、「幼少の思い出の500円」とか、硬貨でも成立させることはできたかもしれないけれど、紙幣だからこそよかったような気がしている。チップのコインは使ってしまうけれど、たった1枚のお札だけは手放せない。彼にとっては一万円以上に価値のある紙だから。チップに変える際のレートや、他人が使うときの値段相当では計れない。油も汗も染み込んで、自販機でジュースも買えないかもしれない汚い紙だけど。カジノでは賭けにも使えないただの紙と化すけれど。それでもギャンブラーにとっては、ほんとうのそれ以上に価値のあるものになっている。『It's Only a Paper Moon』は一万円札のことも歌っているんじゃないかと、わたしには聞こえる。

手放せない、といつつ、賭けに負けたギャンブラーは少女にその一万円札をとられてしまう。でもそれが、見習いの最後の試験で一番大掛かりなマジックのタネになって、ステージを成功させた見習いは正式にマジシャンとして認められることになる。一万円札が、一万円以上の価値ある未来につながった。マジックのために赤いインクででかでかと文字を書かれてしまう一万円札。お会計で出すには恥ずかしくなったそれを、ギャンブラーはきっと一生大事にするのだろう。家族との絆、だけでなく、少女と、一夜のショーに携わった人たちとの絆が染み込んだ、何よりも価値のあるものとして。

 

 

 

 

ここまでTwitter。そんな感じです。

 

人生って変えられるの?それとも、変えられないの?

ギャンブラーがはっきりと答えられなかった少女の問いは、SHOW BOYの作品がはっきりと言葉をもってアンサーをくれる。

人生は変わる いつだって変えられるさ
だからそう信じて 一緒に歩いてゆこう

変わりたいという想いがあれば。信じて歩き続けていれば。快活なメロディと歌声で告げられるそれはガツンと胸を打ったし、月の上で肩を並べる少女とおじさんのことを思わずにはいられない。そして、最高のアンサーを笑顔で歌う越岡裕貴さんは最高だと、オタクは噛みしめた。きれいごと、かもしれない、けれどそれを歌うあなたを信じれば、もう嘘やまやかしの言葉とは思えない。そう心から感じられる。

 

余談だけど。事業を失敗して一攫千金を狙うほど、仕事もうまくいってなさそうなおじさん、ショーに飛び込んだことで、『There's No Business, Like Show Business』ショウより素敵な商売はない!なんて思っただろうか。彼のその後が知りたいなぁ。おわり。