雑記の表紙はグリーン

ジャニオタ備忘録(語るタイプ)

シアタークリエ、若草のころ

(オタク特有の妄言なのでLittleWomenの感想ではないのですがしっかりネタバレしてるので気をつけて)(作品を妄言の材料にしてるので苦手な人も気をつけて)(以前書いたのと似たような日記です)

 

 

 

「もっともっとおっきい会場でできると思いました。確信しました」
「みんなでそこに行きましょう!」
「これからも僕らと一緒に旅を続けていきましょう」

言葉たちをまだこのブログに残したままにしている。とくに消す必要はないのだが、でも、消せないなぁと思っているからだ。インターネットにだけではない。心にもあるし、その響きをはっきりと覚えている。2015年5月、シアタークリエで聞いた彼の声だ。

 

2019年9月25日、シアタークリエ。一ヶ月ほど続いた『Little Women~若草物語~』東京公演は、めでたく千穐楽を迎えた。キャスト挨拶にて、林翔太くんが言った。

「個人的にこのシアタークリエというのがぼくの中で思い入れのある場所なので、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、演出の小林さんと帰ってくることができて幸せです」

この「思い入れ」、はやしくんのオタクなら簡単に概要(中身は彼だけのものだからね)を察することができて。彼がグループに所属していたころ、They武道宇宙Sixとして主演のコンサートをしていた会場だからだ。

(一応、若草物語を通じてこれを読んでくれている非ジャニオタの方がいるかもしれないので説明すると、)普段は主にバックダンサーなど先輩のサポートとして活動することの多いJr.にとって、単独のコンサートステージというのは特別なものなのだ。はやしくんにとってそのステージは、一度の別会場*1を除いてはクリエしかない。ほかの大きな会場での開催を叶える前に、彼はグループから離れる道を選んだからだ。

 

はやしくんのその言葉を聞いて、うっかり感傷に浸っている。(以降、ひたすら感傷に浸るだけの文章なので殊更お気をつけいただきたい。)オタクにとっても特別な会場だ。「思い入れ」というのは、めちゃくちゃ、死ぬほどある。たとえそれが『ジャニーズ銀座』という催しの一環に過ぎないのだとしても、大好きなはやしくんの、They武道の初単独ステージであることは揺るぎなく、登場一発目の金色の衣装がまぶしかったことも、配ってくれた手紙の朗読で大号泣したことも、「飛行機」や「遊園地」とコンセプトを打ったセトリの楽しさも、何もかもを覚えている。はやしくんの歌に聴き入るあまりペンライトがぴたりと止まった景色。響く声。They時代は演出面も担当していたから、「シアタークリエの演出家」としての彼も見ていて。こんなにも素晴らしいものがなぜ600人×5ステージ分の人(しかも延べ人数)にしか見られないんだという悔しさを抱え、ステージが拡張し花道が伸びて火花が上がれと願い、でも、ファンばかり密集した閉領域への愛おしさも確かに感じていた。

クリエでコンサートをしていたころ、わたしはThey武道というグループにものすごく固執していたしまさしく溺愛であった。(このブログに恥ずかしげもなく残してありますが。w)そして宇宙Sixを好きになろうとしていた。信頼はすべてステージの上にあった。

 

クリエに「思い入れ」がある、ということは、挨拶の以前にもメディアで言っていて。それって確実にグループにいた時のもので、今それを言うのはちょっとずるいなーって、いやはやしくんが保身的な意味でずるいっていうんじゃなくて(だって彼自身の経験に対して他人がそんなこと言うの絶対に違うし)、思い出抱えている系のこちらに刺さる発言だなぁと思っていた。

 

ミュージカル『Little Women~若草物語~』。有名な小説『若草物語』とその続編を原作に、主人公・次女ジョーと四姉妹の成長を描くお話。彼女たちの少女時代は「若草のころ」と呼ばれていて、成長を描くのだから、当然、それを脱してもいく。家族が世界のすべてであり、永遠を誓い合った少女たちは、恋、夢、死、旅……大人になる過程でさまざまなことに出会い、その形を変えていく。

こんなエピソードがある。長女メグは四姉妹の中で最初に最愛の男性と出会い、プロポーズを受ける。喜ばしいことだけど、「マーチ家の四姉妹は永遠っていう、あの約束はどうなったの?」誰よりも家族愛を原動力にするジョーは、それをすぐには受け入れられない。そんなジョーに三女のベスが言う。「でも、メグが彼を愛してるって言うのなら――!」

わたしはこのシーン、すごく、あぁ、ってなることがあって。どっちの方が大事かとか、そういうことじゃなくって、ただ自分の心に素直に従わざるを得ない瞬間というのがあり、それにはあらがえないのだなぁと。……前置きをした通り、この記事は舞台の感想ではない。オタクの妄言である。そのうえで、すごくはやしくんのことを思い出すのです。あんな約束こんな約束したじゃないか、このクリエで。言ったのはあなたで、頷いたのは仲間で、聞いたのは客席で、その一席にわたしいたなぁって。ジョーの問いかけにメグは言う。「その約束はずっと昔のことよ。わたし変わったの」それは紛れもない真理なのだ。メグは、約束を嘘にしたのではなくて、ただ、心の呼ぶほうへ、愛する人と一緒になる道を選ばずにはいられなくなっただけ。前述のベスの「でも――」は、小説家になって家族の望むものすべてを与えてあげる!という「若草のころ」真っ只中の約束をジョーが持ち出したことに対するものだ。彼を愛しているならば愛し合わせてあげよう、メグの望むものは彼にしか与えられないものだと、そう言いたいのかなとわたしは思った。きっとはやしくんもそうだ。約束、そのときの想いを嘘にしたわけじゃない。彼の望むことにしか与えられないものがあって、その心に従わざるを得ない瞬間があったのだ。……そうはいっても、叶わないんだなぁ。複雑だなぁ、思い出してしまう。言い聞かせて時間をかけて咀嚼したのだけど。メグが彼への愛を宣言し立ち去った後で、ジョーはつぶやく。「……メグを失った」

 

ジョーは家族愛が強い。父親が不在の家族の中で自分が父変わりとなり、職業を得て、お母さまや姉妹を養っていこうと奮起する。故に頑なな部分があって、彼女は年月とともに変わっていく家族の形に困惑する。隣家の家庭教師ジョンと結婚し、双子の母親になるメグ。ヨーロッパ旅行を経て洗練された女性となり、隣家の親友ローリーと結ばれた四女エイミー。そしてジョーにとって最も特別な存在であったベスは、病気の末に天国へと旅立った。四姉妹の思い出の場所、屋根裏部屋で泣き濡れるジョーは、お母さまに励まされ、立ち直っていく。

〈この心だけは永遠に奪えない 決して〉
〈交わした約束のすべてがここにある〉
〈過去のささやかなすべて ここにある 急に人生が見える〉
〈四人がここにいるわ 驚いたことに 永遠に〉

人生は諸行無常で、起きてしまったことは変えられなくて――でもそれって、「変わることのない、起きたこと」もあるってことで。約束のすべては、マーチ家の姉妹の永遠は、屋根裏に、そして、ジョーの心の中に在り続ける。誰にも奪えない聖域の中で抱き続けるもの。人は変わっていく。ときにそれはとんでもない裏切りや、虚の象徴にも思えるかもしれない、変わらざるを得ないものならばその中で、「変わらないもの」を優しく大切に愛していくことができるなら――「変わっていくもの」のことも、同じように愛して、受け入れていけるのだろう。

 

わたしのオタク人生にとってシアタークリエでかつて見た輝かしい景色は、感じずにはいられなかったあのどうしようもない愛おしさは、「若草のころ」なのかもしれない。はやしくんがやりたいことをやる人生が一番最高だって、それを確固たるプライオリティだと思っているけれど、割とねちっこい人間なのでifの世界とかすごい考える。あのままでいられたら――みたいなこと。あのころ思っていた未来とは、叶えてほしいと願っていた約束とは、ちがうところにいるし。でもだからって、叶わないからといって、あの頃の気持ちは捨てなくていいんだ、ってそのシーンのジョーを見てたら思える。大事にしていればいい。だって嘘じゃないから。たしかにあったから。「変わらない」から、それは。誰かに強要するんじゃなくて、誰にも奪えない自分の心の中で、ずっと。そうして、未来を見ていけばいい。

「変わることは裏切りじゃない」、これもずっと思っていること。だって成長は、前進は、美しいのだから。あの頃もよくて、今も素敵で、はやしくんはずっとずっと素敵だから。

おんなじような話をします。「(観客を含めた)この全員が集まることは二度とないと思うんですけど、皆さんと今日ここで過ごした時間は死ぬことはないんだなと思うと、ほんとうに素晴らしい時間を過ごせたなと思いました」そうご挨拶されたのはベス役の井上小百合さん。自分の命の終わりを悟ったベスは、ジョーと過ごす浜辺で歌う。〈終わりのないもの この魔法の時間 あなたへのこの愛〉〈でも死なないの 遠く離れても あなたとの時間は〉ベスの言葉と、ベスを生き続けた井上さんの言葉も、深く染み渡るものがあって。時間は過ぎ行くものだけれど、死ぬことはないのだということ。時間も、想いも、大切に抱き続けてゆけるのだということ。

 

挨拶ではやしくんは、シアタークリエに立つことを「帰ってくる」と表現していて。もう一度立てた、とか、戻ってきた、とかじゃなくて。はやしくんにとってクリエは「帰る」場所なのかと。なれば、もしかすると、はやしくんの抱く「思い入れ」は、この劇場で仲間たちと過ごした、確かに存在した時間は、彼にとっての「若草のころ」なのではないだろうか――思わずそんなことを考える。推測だけ。曇りのない真心は彼にしか分からない。

離別の際にメンバーが綴っていた言葉「翔太は家族だから」を度々思い出している。家族なんだもんなぁと、それ以上は上手く言えないのだけど。ただ感傷に任せて文章を書いているけれど、わたしは決して、はやしくんの選択のすべてが美しいと崇められるものだとは思わないし、選ばなかったものたちが輝く道の犠牲になったとも思わない。間違ってないけど、正しさをジャッジすることはできない。そして、はやしくんにとってグループの夢を追いかけていた過去が「若草のころ」だったとしても、離別はそれを脱したことを意味していたとしても、今もグループという選択を最良としているメンバーたちが「若草のころ」に取り残されていると思っているわけでは、断じてない。彼らには彼らの歩みがある。あくまでも、はやしくんはそうだったのかもしれない、という一方的な推測にすぎない。

いじわるなオタクだから、一緒に帰ってくる人がちがうんじゃねーの、とか一瞬思ったりして。でも、ちがくない。これが過去を経て未来へつなぐはやしくんの「今」だから。死なない時間が、変えられない過去があるからこそ、今はこの人たちと帰ってきたことがすべてなんだろうな。

 

……なんだかんだ言ってもそれは、「若草のころ」に固執とも言える思い入れを捨てないままでいるわたしが夢想するだけのこと。はやしくんが「帰ってきた」と言う意味を真面目に(いや今までも真面目だけど!真面目に煩ってるもんで!)受け取る。あの頃よりずっと成長して帰ってきたよってことなのかなぁ、活躍することが応援してくれるすべての人への恩返しだと、常々言っているはやしくんのことだから。

あのときもこの客席で美しい歌声を聴きながら思っていた。もっとたくさんの人にこの素晴らしい才能が知れ渡ったらいいのにって。そしたらもっと広い世界へ彼は(彼らは)行けるのかなと。それが今、5ステージには留まらないたくさんの公演を重ねる中で、多くの人が観劇をして、林翔太くんって初めて見るけどすごいねって、そんな声がほんとうにびっくりするくらい挙がっていて、なんて素敵なことだろうと思う。

 

ヨーロッパ旅行から帰ってきたエイミーは、ジョーに見せたかった景色を得意の絵に描いて本にまとめ、お土産として彼女に渡す。「受け取れないわ」と戸惑うジョーに、エイミーが言う。「いいえ、受け取れるわ。わたしたちはこれからもずっと一緒よ、それは永遠に変わらないわ」エイミーは「若草のころ」を脱していた。かつてはたくさんのコンプレックスに苛まれ、ジョーに憧れるが故に嫉妬してぶつかり合っていた末っ子も、本人がいうようにたくさんの経験によって洗練され、少女がレディとなった。ローリーと婚約し、ローレンス家の妻となる将来を選んだ。エイミーは変わった、けれど、遠く離れた土地から会えない家族を想ううちに、確実に変わらないものがあることに気がついたのだ。ジョーよりもすこしだけ早く。その言葉を聞いてジョーは笑顔で本を受け取る。「変わらない。――エイミーありがとう。あなたの絵は美しいわ」

はやしくんは変わった。ここで散々述べた今の道の話もそうだし、この夏を越えて、ただでさえ上手だった歌が格段に上手くなり、ミュージカル唱法を見事なまでにモノにしていた。記事や劇評に書かれていたミュージカル界本格参入への期待が形になれば、ますます広い世界へと出ていける、大きな存在へと成っていくのだろう。それでも、シアタークリエに「思い入れ」を抱いて「帰ってくる」はやしくんは、ずっと彼のままなのだ。見続けたいとファンが願う限り、過去も未来も続いていく、あの頃も今もそれはずっと変わらない。だからわたしは受け取れる。過去にしてくれた約束のことも、「思い入れ」を大事にする姿も、自分の道を選んでいく未来も。「ありがとう、あなたは美しいわ」そう言えたらきっと幸せなのだと思う。

 

はやしくんが「帰って」きた、「思い入れ」のある劇場。東京公演を終えて、今度は名古屋、福岡へ。そしたら次は別の作品で、別の劇場へと、彼はまた次々と旅を続けて行くのでしょう。見続けていよう、その姿。「若草のころ」を時々思い出しては、心にそっと抱きながら。

 

おかえり、はやしくん。いってらっしゃい!